さいきん昼寝を同伴させて頂いている真田のぬこさま(5か月) 真田の家で保護ぬこさまをお迎えしたため、さいきんはついつい長野に足が向かってしまう。天気が良かったので山でも登るかと思い、菅平高原から根子岳~四阿山を縦走してみることにした。 見事な秋晴れ 白樺と熊笹の森 四阿山へと続く尾根から根子岳を望む わたくしの人生初の登山がここ根子岳(家族みんなで登った)である。じつに36年ぶりの登頂となった。山頂でおにぎりを食べて休憩した後、今度は四阿山(あずまやさん)へ向かった。古事記にも登場する四阿山はヤマトタケルに由来する由緒ある山で、百名山の一つでもある。こちらは初めての登山である。 根子岳の山頂からの下りの尾根伝いが絶景であった。その後ふたたびきつい登りを進み、四阿山の山頂付近まで来たときのことである。ひらけたガレ場から熊笹に覆われた道へ数歩進むと、突然目の前に大きな黒い塊が目に入った。あ!と思った瞬間、その黒い塊は跳躍し、もの凄い勢いで藪の中へ逃げていった。 人生初の熊さんこんにちはに呆然とする私…2メートルくらいの至近距離だったので、タイミングがずれていれば危険だった。 私はアイヌ文化が有する膨大な森の知識に憧憬の念を抱き、日ごろから熊さんともお近づきになりたいと考えていたため、願いが叶ったともいえる。アイヌといえば熊のイオマンテ(魂送り)が有名だが、じつはアイヌは熊だけでなく様々な動植物のイオマンテを行っていた。また、縄文時代の土偶を用いた植物霊祭祀の儀礼こそがイオマンテの起源の中心的ファクターであると私は考えており、刹那ながら貴重な体験となった。 あやうく逆イオマンテとなるところだったが、熊よけの鈴はやはり必要だと理解した(チリンチリンうるさいから今回は持っていかなかった)。熊よけの携行は自分の身を守るためと思っていたが、ちがう。熊さんを無用に驚かせないために必要なのだ。彼らのテリトリーに立ち入らせてもらうのだから、そうした配慮はむしろ彼らへの最低限のマナーなのだということに遅まきながら気付いたのであった。 ビビりつつ「通りますよ~」と声を出しながら下山
旅の初日・米子大瀑布 27年ぶりに訪れた白神山地・青池 9月13~23日、車にテントとサバイバルグッズを積み込み、アシスタントのこうちゃんと東北・北海道を周遊。宿には一度も泊まらず、すべてテント泊の旅となった。 宿泊費は浮くし、各地の温泉に入れるし、地べたで寝ると目覚めが爽快でエネルギーがチャージできるしと、いいことずくめだった。真冬以外の旅行はこのスタイルが定着しそうだ(ただし小樽の森では9月なのに凍死しかけた。北海道はやはり試される大地であった)。 東北は日本海側を中心に探索。各地の遺跡や埋蔵文化財センターを巡る。ローカルな土偶のチェックとともに、トチノキやオニグルミの植生も広範囲にわたって観察できた。 北海道には車ごと フェリー で渡航。本州最北端の地、大間崎から函館へ渡る。道内では函館~著保内~余市~小樽~札幌~旭川~恵庭~函館と、道南と道央を巡る。土偶が出土した遺跡周辺の地形や植生の観察、また気になっていた フゴッペ洞窟 の見学もできた。 各地で見られる堅果類の植生の中心的分布と土偶の様式が見事なまでに高い相関を見せており、あらためて自説の正しさを認識する旅ともなった。付近の森を見て「あ、ここの埋蔵文化財センターには〇〇の形態や紋様を持つ土偶があるはず」と予測を立て、実際に行ってみると本当に想像通りの土偶が収蔵されているということが何度もあり、森に暮らす古代人たちと対話しているかのような感慨を覚えた。 また、三内丸山遺跡では、実物を観察しながら中期土偶の解読も行った。こちらも多くの発見と成果が得られた。いずれどこかで発表することになるだろう。 5000年前にタイムリープ・三内丸山遺跡 地獄型テーマパーク恐山 函館郊外にある橡木神社・樹齢800年のトチノキの霊木 小樽へ向かう車内 雨に降られる 黒岳山頂 1兆円をドブに捨てたカエルさんと記念撮影 ぼくはきみの正体を知っている